Experimental

限りなくメモ帳に近い何か

料理できますか?

You are what you eat 1

 最近、僕は引っ越しをした。慣れないアパートの慣れないキッチンにて、実家からもらってきたじゃがいもをサクサクと切っていた。いつもより作業がのろのろなのはいつもと違うキッチンのせいである。

 ふと、

 会社の人「○○君料理するの?」
 自分「しますよー。わりと!」
 というどうでもいい会話を思い出した。はたまた「○○君料理できるの?」と聞かれることもある。20代一人暮らしの男には振りやすい話題なのかもしれない。

 料理が出来る。

 さて「料理が出来る」とはなんだろう。

 「料理なんて簡単でしょー」
 「俺は料理しないわ、○○はよくできるよな」
 「俺はそこらへんの女子より料理うまいよ多分」

 なんだか今まで聴いた料理に関する会話がフラッシュバックして再生される。

 

 じゃがいもを切る手を止める。考えてみる。

 

 現代はクックパッドやらそれに続くレシピサイト群がある。これらのサイトのおかげで料理に対するハードルがガクンと下がったと思う。じゃあそれを踏まえて「料理が出来る」とはなんだろうか。そんなことを考えはじめた。

 例えば、男性が一念発起して、大量の調味料と肉の塊を買ってきて最強の一品を作ったりするが、これは料理が出来ると言えるのだろうか。瞬間最大風速は素晴らしいがそういうことではない気がする。

 例えば一人暮らしの学生がカップ麺に食べ飽きてクックパッドを見て週に1回料理を作る。これは「料理が出来る」といえるのかといえば、レシピサイトによってハードルが下がりすぎているため「料理が出来る」とは言えない気がする。では「料理が出来る」というのは何かと言うとそれは「母的な振舞い」ができるかどうかだと思う。

 母的な振る舞いとは、

 毎日料理をすること。
 それでいて日々の料理で家族を飽きさせない。
 かつ栄養もしっかり摂れる。
 かつ時間のない中でも調理を完遂出来ることが出来る。

 なかなか難易度が高いがこれらの要件を満たせれば誰の文句もなく「料理が出来る」と言えるだろう。(言わずもがな料理を仕事にしている人はまた別の話)


 …とまあ、グダグダ考えた。どうでもいいといえばどうでもいい話だが「料理出来るの?」と聞かれるたびに考えてしまう。「料理が出来る」とは何なのか。

 というわけでえ条件を考えてみた。もちろん必要条件ではなく十分条件

 

 さて、放り出していたじゃがいもを切らないと。

The curtain falls

「ばあちゃんが亡くなっちゃったよ」

震えた声で、電話越しの母が告げた。

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 この前まで老人ホームに入っていた僕の祖母は、最近は病院に入院していた。そのときに医者には、もって3週間だと言われていた。それから3週間と数日が経過して、祖母はこの世を去った。ほぼ寿命と言っていいかもしれない。

 残りの日数が医者に告げられてから、僕は毎週の土日のどちらかは帰省して顔を見せに行っていた。しばらく前からそうだったが、声をかければ「うんうん」と頷くものの僕のことをちゃんと認識してるかは分からない。そもそも老人ホームに入っていた時期は、僕が名前を名乗らなければ誰か分からない(思い出せない)状態だったが。

 それでも祖母と会えることが大事だった。

 幼い頃から僕の両親は共働きで、多くの時間を祖母に育てられた。いわゆる「おばあちゃん子」と言うやつだ。

 祖母との瞬間的な画(思い出)がいくつも脳内に浮かび上がってくる。

 そのときの自分の年齢は分からないが当時3才くらいだろうか。家から50mも離れていないところでピクニックと称して、田んぼの畦道にシートを広げて手作りの弁当を食べたことを覚えている。今思えば家のすぐそばなのに、子供だった僕は遠くへ冒険に出た気分になっていた。

 あるいは祖母の緑の自転車の後ろにくくりつけられた子供用のシートから見えた、上り坂を一所懸命にペダルを踏む後ろ姿。

 あるいは、昼食の時間になったので、離れにある畑で作業をしている祖母を呼びに行く記憶。

 あるいは、朝食時に四人用のテーブルを父、母、自分、祖母でかこんで食事をするどこにでもある何気ない風景。

 こう記憶をひとつひとつを取り出すと、次から次へと記憶の扉が開く。

 もう10年ほど前のことになる。自分が高校生の頃だっただろうか。ある日、祖母は脳梗塞で倒れた。そこから猛烈なリハビリによって半身が一部動かないながらも日常生活に復帰を果たした。しかし身体の不自由さをきっかけに、その日から、ゆるやかに老いていったように思える。

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 時は流れて、2018年6月某日。その日はやってきた。

 電話越しに、母から祖母の訃報を聞いた僕は、驚くほど悲しみにくれた。

 家族の死は殆どの人が経験することだが、僕にとってこれがはじめての家族の死だ。入院したときから死を受け入れる覚悟をしていたが、母からの電話を切ったあとは涙が止まらなかった。そしてその後は心身を虚無的な感覚が覆った。「終わってしまった」と思った。こうして僕の中で連綿と続いていた祖母との平凡な物語に幕は降りた。

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 崩れた心はいつかは元に戻る。しかし悲しみを忘れる事が、寂しいと感じる。それでも幕が下りた劇場には背を向け、後にしなければならない。

 青き日の思い出は僕の心の中にいまだに残っている。その影をずっと追ってきたような人生だった。ひとつ思っていることは「育ててもらった恩に報いなければならない」ということだ。

 内面的な問題だが、成熟してないことに自覚的で、けれど年齢が成熟を仮構することに安心して、自分の未熟さを放任してきた。ゆえに未熟さから抜け出して成熟することが「報いる」ということだと思っている。

 成熟の像は自分の中に明確に存在する。できるだけ早く、そこに辿り着きたい。