Experimental

限りなくメモ帳に近い何か

さよなら2022~会社辞めました~

 

Candles

 

おけましておめでとう。

久しぶりに文章が書きたくなったので書く。

この文章は殆どが昨年仕事辞めたときの話。

 

――

 

現在、年が明けて1月2日。

 

実家には帰らず、年末から昨日まで病に伏せていた。

かなり時間を費やしたが、ようやく治った。

なんの病気かというと、流行り病……コロナだ。とうとう罹患した。

結果的には、かなり軽傷ですんだが、普段通りの生活が出来るようになるまで、1週間もかかってしまった。現状、嗅覚がなくなったが、人工呼吸器など付けずに済んだので良しとしよう。

そして無事、病から復調して文章を書いている。

この1年は色々あった。

大きいことで言えば、夏に仕事を辞めた。正社員から派遣社員になった。仕事がつらかったと言えば別にそんな事はなく、つまらないながらも適当にこなしていた。では何故やめたのかというと、やはり給与の少なさと、身に着けられる技能の少なさ。この二つによって、暗い未来しか見えなくなっていた。

もちろん会社にもやりたいことなど相談していたが……色々考えて見切りをつけようと思った。長く居ればやれる事も増えたかと思うが、では給与の面ではどうだろうか。恐らく思うようにはいかないだろう。俺ももう随分いい歳で年齢だけは立派な大人だ。

思い立ったら行動ということで、会社を辞めるべく、転職先を探し始めた。

と、その前に、会社に長く勤めていた人が辞めるということで、自分の気持ちに火が付いて行動し始めたということも大きい。もやもやしながら仕事していた所に火が点いて、溜まりに溜まった不満が燃え上がったような具合だ。

やろうと決めてからは早かった。今の技能で正社員では、給与の面で厳しい査定を食らうことは分かっていた。なので派遣をしながら技術を身に着け、その後の道を探そうと思った。時間があるときは派遣の求人サイトを眺め、自分に必要な技能が身に着けられそう、かつ高時給な募集は手あたり次第に応募していた。最終的には派遣の担当者が、とある会社と交渉して、面接まで漕ぎつけてくれた。本当にありがたい。

この担当者のYさんには本当に世話になった。自分の要望や相談に、かなり長い時間さいていただいた。普通は派遣の担当者はこんなに親身になってくれる人は少ないだろうと思う。担当者は仕事なんだから当たり前だろ~とも思うかもしれないが、以前派遣を利用していた身からすれば、異例と思えた。担当のYさんには感謝は尽きない。

そして次の仕事が決まったとくれば、あとは会社を辞めるだけ。

辞めるだけ。

なのだが、これが随分と苦痛を伴う作業だった。

当時勤めていた会社は立派なブラック企業であり、辞める人間に対してはヤ〇ザなの?って思うくらい厳しい。

社長に辞める旨を相談したところ、じゃあちょっと話しをしようかと言うことで、社長とその側近と共に会議室に入り、2対1で話し合った……もとい詰められた。死ぬほど詰められた。辞める理由を聞かれ、そこに対して説教のようなものをされ、反論し、それに対して説教されを繰り返し1回目の話し合いは、こちらが耐えられなくなり「すみません、もう少し考えさせてください」と言って第1回戦は幕を閉じた。

恐ろしくて文章にはしていないが、脅されるようなこともかなり言われた。しかしここに書くのはまずかろうと思い、文章にしていない。だが心には深く刻まれている。忘れないようにするためにどこかに書くかもしれないが、それはまたいつか。

話し合いの時間は2時間半を越えていて、完全に精神的に参っていた。

そして帰宅してから、これは辞められないんじゃないかと頭を抱えた。

人間とは弱いもので、辞表を叩きつけてグッバイすれば良いものを、きちんとした話合いの中で辞めるべきだと思ってしまう。

考えさせてくださいと言ったので必然的に第二回戦は訪れ、このときも2対1で3時間に渡って話し合い、もとい説教を受けて、精神的にボロボロになり、なんと俺は辞めることを辞める決断をしてしまった。

会社側から代案(会社に残った場合の給与などの待遇改善と業務内容の変更など)を提示されてそれにまんまと乗ってしまったのだ。

あまりにも辛すぎてその場では、その案に乗って、自分の中でも納得してしまっていた。

帰宅してからというもの、これは別に悪くはない選択だ、きっとそのはずだと、自分の中で反芻し、しかし辞めた方が良かったのではという気持ちとない交ぜになりながら、気持ちと思考の歯車がゴロゴロと回転し何度も何度も自問自答した。しかしギリギリズキズキと心が苦痛を訴え、それをだまくらかすように「悪くないはずだ」と自分に言い聞かせながら、布団に潜り込み、ぐるぐるとした思考の中で眠りについた。

翌朝目が覚めてから、気が付いた。ああこれはとんでもないことをしてしまった、と。

昨日はストレスが掛かりすぎて正気じゃなかった、そしてその中での決断が正しいはずもない。眠りによって脳が正気を取り戻し、自分の判断が間違っていたことを一晩あけてから理解した。

馬鹿か俺は。なんて決断をしてしまったんだ。

そう思った。

辞める事を辞める事を辞めなければ。

一晩寝て、正気を取り戻した。仕切り直しだ。一刻も早く辞めなければ。

こうしてもう一度、出勤するやいなや、会社に居なかった社長にメールを打ち、第三回戦開催のご連絡を送付した。

そしてこの三回戦目どうだっかというと我が軍(俺)の勝利に終わった。

最終的に社長には「お前みたいに勝手な奴は信用できねぇ」と吐き捨てられて終焉を迎えた。

会議室を出て別のフロアにある自分のデスクに戻り、深呼吸をしつつ、安堵した。

これのどこが勝利なんだという感じだが、自分としては、長い話し合いの中で心が折れ、その中でもなんとか掴んだ道筋で、本当になんというか諦めないでよかったと思う。

円満退社とはほど遠いが、話し合った末に信用を失って退社するのも別に悪くはない。なりふり構わず強引に退社するよりは随分と良い。業界というのは以外と狭く、何年か経ってから再開する可能性もあるからだ。

 

以上が2022年の大きな出来事だ。我ながら酷い人生だと思う。いい歳して好き勝手やっている。だが俺はやりたいことをやり尽くして、生きたいように生きたい。後悔しながらも後悔しないよう生きねばならない。金も欲しい、家族も欲しい、やりたいこともやりたい。身に降りかかる不幸と共に、幸福への道を探していこう、それが地獄への道ではないと信じて。

 

では。